CHIGYOIN
知行院について
喜多見の地に根付き、
静かにたたずむ知行院
明治以降学区制施行に伴う研精学舎としてお寺を開放するなど、
今日まで町のコミュニティセンターとして地域に根付いています。
現在でも年間行事や毎月の行事が行われており、
老若男女問わず、気軽に境内に集える環境が整っています。
関東大震災では茅葺がくずれ閻魔像には梁が落ちるなど
大きな被害がありましたが、
当時まだ少なかった檀家さんと協力し大改修を行いました。
世界大戦勃発の後も地域の方々に支えられながら、
山門の改修、客殿庫裏の新築、墓地の改修拡張など
精力的に取り組むことができました。
昭和から平成、令和へと移り変わる時代の中で、
書道塾や地域の野球チームなどの活動も行われています。
四百年を超える歴史
発祥は室町時代末期、
文明の頃十王堂(閻魔堂)と護摩堂が有ったといわれ、
天正16年(1588)に頼存法印が
それを立て直し開山したという記録が寺伝に残っております。
以来この方を開山としています。
喜多見は当時江戸氏の末裔(十八代)、
喜多見若狭守勝忠(喜多見氏初代)の領地で、
氏は父祖以来の居館地から丑寅に当たる方位に当院を、
更に境外下野田の地に不動堂を建立或いは再建、
鬼門除けの祈願所として除地若干を寄進されました。
この事から知行院はこの方を開基としています。
天台宗 龍宝山 知行院の寺紋
「輪宝掴み龍の爪」
「輪宝」とは、仏教伝説の「転輪聖王の宝」のことです。
その中でも武器や車輪、
曼荼羅を模している「六つ輪宝」を使用しています。
龍は三本爪になっています。
国によって本数が違うなど諸説があり、
四本爪や五本爪の龍が各国で描かれていますが、
隋のころまで遡ると、他国でも三本爪が基本となっているため、
中国王朝と親密に交流していた遣隋使が日本に持ってきた文化が
今でも守り続けられていると考えられています。
GALLERY
ギャラリー
歴史ある知行院に伝わる資料の一部を紹介します。
※横にスクロールできます。
歿年号 | 将軍 | 世代 | 戒名 | 備考 |
---|---|---|---|---|
寛永4年12月26日 |
家光 |
開山 |
前若院華林宗珍居士 |
喜多見若狭守勝忠 |
寛永17年12月14日 |
家光 |
開基 |
頼存 法印 |
※1「深大寺未門分限帳」には寛永7年とある |
正保4年3月12日 |
家光 |
2世 |
重海 法印 |
慶安4年(1651年)10月17日、8石2斗の寺領を家光公より拝領 |
承応2年3月15日 |
家綱 |
3世 |
豎者法印 重智 |
|
万治3年10月12日 |
家綱 |
4世 |
豎者法印 重圓 |
|
寛文3年5月28日 |
家綱 |
5世 |
豎者法印 重辨 |
|
天和6年6月23日 |
綱吉 |
6世 |
豎者法印 圓海 |
|
元禄3年5月25日 |
綱吉 |
7世 |
豎者法印 重盛 |
|
元禄11年4月4日 |
綱吉 |
8世 |
豎者法印 盛雄 |
|
正徳1年7月22日 |
家宜 |
9世 |
豎者法印 慈堂 |
|
正徳2年11月22日 |
家宜 |
10世 |
豎者法印 圓盛 |
|
享保2年6月21日 |
吉宗 |
11世 |
盛海 豎者法印 |
|
享保16年2月27日 |
吉宗 |
12世 |
権大僧都 聚海 |
本堂山門建立発願 |
安永2年3月17日 |
家治 |
13世 |
権大僧都 中興 辨祐 |
中興 本堂・山門建立落城 |
天明1年9月25日 |
家治 |
14世 |
大阿闍梨 孝順 |
|
文化3年6月11日 |
家斎 |
15世 |
権大僧都 常珍 |
|
文化 |
家斎 |
16世 |
権大僧都 桂同 |
|
文政8年5月2日 |
家斎 |
17世 |
大阿闍梨 篤深 |
|
文政11年3月14日 |
家斎 |
18世 |
権大僧都 俊慶 |
|
天保 |
家慶 |
19世 |
大阿闍梨 俊昇 |
文政11年住職 |
明治23年8月15日 |
家慶 |
20世 |
少僧都 廣観 |
天保8年住職 文久元年狛江玉泉寺転住 |
明治10年1月20日 |
21世 |
権大僧都 義圓 |
||
明治16年3月7日 |
22世 |
権訓尊 市東能順 |
明治12年 9月13日 住職 |
|
昭和8年3月7日 |
23世 |
権律師 坂戸公栄 |
明治29年 住職 |
|
明治42年12月26日 |
24世 |
大僧都 荘司旭照 |
||
昭和7年3月10日 |
25世 |
少僧都 坂本智本 |
||
平成2年2月10日 |
26世 |
大僧正 坂本観雄 |
昭和11年 住職 |
|
27世 |
大僧正 坂本観晃 |
平成26年名誉住職就任 |
※資料が残っておらず詳細不明の部分は「?」と表記しています。
※1「深大寺末紋分限帳」は天保6年住職廣観が本寺深大寺に提出したもの